校舎変遷その3

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校舎の歴史第三弾、1958年~1985年です。(その1 その2)

1958年2月、火災に見舞われた校舎。

講堂を職員室と事務室等として使用し、特別教室や視聴覚教室はすべて普通教室に転用、寄宿舎を改装した食堂の一部も教室に当てました。

3月には「復興建設期成会」が結成され、新校舎への道のりが始まります。

5月~6月、校庭に二面のテニスコートが新設され,12月には22室の「湘南会館」落成。

1959年、2月に起工された「本館」は11月に落成、3月には体育館の改修工事が完了しています。

そして、1962年には「中館」、1963年には「理科館」が落成、新校舎3棟が揃います。

また、1962年、創立40周年記念事業としてスタンドの拡張工事が行われます。

1963年、中庭のテニスコートがコンクリート舗装に生まれ変わります。

火災時職員室にもなった講堂、1964年に床の張り替え工事が行われ「武道館」に。

1965年、湘友会の50周年記念事業として、生徒会館「清明会館」の建設のための募金活動実施が決まります。8月には合宿所(旧寄宿舎)・食堂が取り壊され、10月起工、1966年落成します。(食堂・合宿所・家庭科実習室・部室13室他)

1968年、グランドにスプリンクラーが設置されます。
12月には新体育館建設起工、1969年7月落成、新体育館が「第一体育館」、旧体育館が「第二体育館」となります。
その落成式が執り行われたちょうど2週間後、あの手掘りから産声を上げたプールで漏電、感電事故が発生してしまいます。1970年6月、新プール落成、「鉄板プール」の誕生です。

1971年には第二体育館の改修が行われ、また、図書館が取り壊され、新館の工事が始まります。1972年特別教棟「西館」落成です。

ここまで見てくると、火災以降、敷地のどこかで工事が行われている時代でした。新しい湘南再生には時間と労力を要しました。

70周年記念誌にこんな一節があります。(P105)

先生方の仕事にはいろいろ差支えもあったが、松川校長は「逆境を克服する精神を」と呼びかけ、生徒会は「学校と一体になって、適切に、かつ十分動いて、歴史ある伝統の上に立つ、新しい湘南を再建したい」と応じた。

1974年、武道館が漏電から火災焼失。1925年に創られた講堂、時に職員室にもなり、火災時の混乱を支え、唯一、第一期校舎の面影を残していた武道館が焼失し、ある意味「再生」がスタートしたと言えるのかもしれません。跡地には、後に格技場が建設されます。(1985年完成)

1974年の新入生から10学級になり、1975年、翌年からの12学級制開始のため、3月、新校舎建設が始まり、11月「南館」落成。

80周年誌より航空写真です。

その後、1977年には体操部部室焼失、1978年には中館脇女子更衣室から出火、と、火災の呪縛から逃れられない体験もありました。

1981年には門扉が完成、また、シャワー室が誕生します。

1982年、中間1階トイレの障がい者用改修が行われ、また身障者用スロープも作られました。

1985年、60回生卒業記念として、第二体育館裏材木置き場横に「ペイント収納庫」が設置されます。日本一の体育祭と言われる湘南ならでは、かもしれませんね。

また、1984年ご逝去された保健体育科熊谷文男先生を偲んで、サブトラック入口に「陸上競技用体育倉庫」が設置されました。

その4に続く