校舎変遷その2

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校舎の歴史第二弾、1939年~1958年です。(その1はこちら)

戦争の足音が聞こえてきたこの時代、記念誌年表を見ると

1941年6月 全校職員生徒の出征農家での勤労奉仕

1941年10月 報国農場の甘薯を陸軍第三病院に献納(銃後後援班)

1942年6月 全県的に農村勤労動員を開始

等々、戦争の後方支援をする生徒たちの様子が見えてきます。

当時の校舎です。

そして、

1944年4月 テニスコート閉鎖、防空壕・開墾地に。11月には防火のため渡り廊下を撤去します。

1945年8月 終戦。

4月から一年間の予定で停止されていた授業は、9月から再開します。しかし11月、武道禁止のお達しがあり、剣道場は後に卓球場へ、柔道場は後に図書館(1949年)へと変身します。

1947年、生徒の積み立てで費用を捻出、体育館屋根の防水工事が施工されます。

1951年には運動場の拡張工事が完了、スタンドも設置されました。また、校舎大修理が完了したのもこの年でした。

1953年、部室棟が完成します。(10部室)

開架式となり、図書館施設充実コンクールにも合格した図書館ですが、1953年、図書館新設が決まります。(1950年には柔道が解禁されていました。)

1955年5月 新図書館落成です。

そしてこんな配置図に。

太平洋戦争の真っただ中を乗り越え、生徒を守り続けた校舎でしたが……

1958年2月24日 火災により本館・卓球場・部室等々を焼失してしまいます。

         (火災直後の本館玄関付近)

→その3に続く