親子で湘南 その2

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「親子で湘南」第二弾 57回生 大島武さんから投稿をいただきました。本文中にある様に、お父様は大島渚監督、お母様は女優小山明子さん。弟の新さん(63回生)には、100周年記念マークの審査委員をお願いしていました。

55年前の話です。

待望の長男が生まれた父は、子どもの教育についてさっそく頭を悩ませました。

父は映画監督の大島渚。松竹大船撮影所に採用されて、隣の藤沢の地に居を構えましたが、ずっと京都の人で、このあたりの教育事情に疎かったのです。

「湘南高校に入れとけば間違いないですよ」

そう請け合ったのは、小津安二郎、野村芳太郎、大島渚らの作品で活躍した名カメラマンの川又昴さん。鵠沼在住の彼は、父に湘南高校の素晴らしさを滔々と説いたそうです。

かくして誕生間もない私に変な宿命が生まれました。父の意を受けた私の教育係の祖母は何かにつけて「たーちゃんは湘南高校に行くんだよ」と説き続けます。私もすっかり洗脳され、小学校高学年ではしっかり地元の名門校を意識していました。

残念だったのは、肝心の学力が今一歩振るわなかったこと・・・。

焦った祖母は中学の成績が上がらない私を塾に行かせ、家庭教師を付け、Z会やらせて、睡眠学習機!を買って、必死にお尻を叩き続けます。まさに「辿り着いた」という表現がぴったりでした。私は父の並々ならぬ熱意と祖母の執念で「湘南に入れてもらった」のです。

こうして人並み以上に苦労して入った湘南高校は、決して誇張ではなく私の人生のベストチョイスでした。運動が苦手だったので対組競技では活躍できませんでしたが、水泳部の部活に打ち込み、体育祭に入れ込み、一生付き合いたい友を得て、生涯の伴侶(管理人注:57回生知子さん)もこの高校で見つけました。

(1981年体育祭)

…続く