宮殿、社寺、教会、劇場といった構造物、建築物のなかに見事なアプローチを見ることがある。皇居には堀にかかる二重橋があり、鶴ケ岡八幡宮には段葛があるといったように……。安藤忠雄による教会は、そこを通ると心と体が浄化されていく「聖なる空間」と言うべき絶妙なアプローチがある。このことが設計上の重要なポイントであるという。
さて、大楠に抱かれた校門の内側が聖域とは言えないが、母校には校門に連なる短い坂道がある。百年前の開校にあたって、自然の為せるこの絶妙な地形、ロケーションを授かった幸運をまずは喜びたい。
母校の坂道はなにも語らない。しかし、ここを朝な夕な行き交う若き湘南生たちの跫音を、ずっと聞き続けてきたのである。これら無数の跫音によって湘南史が綴られてきたとすれば、坂道こそは湘南のすべてを知っており、まさに、「天知る、坂知る、人知る」である。これから先も、ずっと湘南史の証言者としての役割を果たし続けてくれるに違いない。
国際経済学者として活躍するひとりが、「校門にいたる坂道こそが、私の母校の原風景である」との言葉を寄せている。たぶん、多くの卒業生にとっても忘れがたい心象風景として、心のどこかにこの情景が刻まれていることであろう。
時あたかも、母校は開校百周年を迎えようとしている。この坂道に名称を献上し、この先残すべき湘南文化遺産といった視点で、この「寡黙な坂道」を顕彰したらどうだろう。
坂道の名は「湘南坂」といった平明かつシンプルなものでよい。この坂が若き湘南生たちに与えてくれた「何か」を、顕彰碑に平明達意の名文で刻したい。これを読んだ後輩諸君の胸のなかに「自分たちも、湘南史を紡ぐひとりなのだ」との自覚が芽生えるような……。
SHONAN WAY――すなわち「湘南らしさ」を、ずっと見続けてきた坂道に大いなる敬愛の想いを捧げたい……これが企画の眼目であり、主旨である。
赤木苑のようなモニュメントが、学校に入って真っ先に眼に付く処に創設される……校門、大楠と一体となったこのアプローチは、母校を表象するランドマークと呼べるかも知れない。卒業生から造形家、文章家、書家、造園家などの優れた才能が集められ、新モニュメントが誕生する……メッセージ性をもったすばらしい百周年記念事業のひとつになるだろう。